〔楽器情報〕 マルセロ・バルベロ・イーホ製作 Para Casa Arcangel Fernandez(アルカンヘル・フェルナンデス工房品)ラベルによる1973年製Used、フラメンコモデル ブランカ(白)の入荷です。彼がアルカンヘルの工房で職人として働き始めて(つまり彼が独立した製作家として活動を始めて)間もない頃の作で、しかも彼としては比較的珍しいフラメンコモデル。
〔製作家情報〕 数多いスペインのフラメンコギターブランドの中でも、屈指の定番とされるコンデ・エルマノス。ブランドの始まりはマドリッドの伝説的なマヌエル・ラミレス(1864~1916)工房で、サントス・エルナンデス(1874~1943)と共に職人として働いていたドミンゴ・エステソ(1882~1937)が、1919年に同じマドリッドのグラヴィーナに工房を開くところまで遡ります。彼の教えを直接受けた甥のファウスティーノ・コンデ(1913~1988)がその弟達マリアーノ(1916~1989)とフリオ(1918~1995)とともにエステソの工房スタッフに加わり、エステソ亡きあとも「Viuda y Sobrinos de Domingo Esteso」(エステソ未亡人とその甥達による)というラベルでこのブランドを継続してゆきます。1959年にエステソの妻(※Nicolasa Salamanca エステソギターの塗装を担当していた)が亡くなるとラベルを「Sobrinos de Domingo Esteso/Conde Hermanos」に変更し、この時からコンデ・エルマノスの名前がブランド名として使われ始めます。
1960年代に入るとそれまでエステソを踏襲していたモデルを全てデザインから内部構造に至るまでオリジナルのものに一新し、半月型にカットした有名な Media Luna ヘッドシェイプもこのころからハイエンドモデルの符牒として採用され、この時期世界的に高まる需要もあり飛躍的に名声とシェアを広げてゆきます。
〔製作家情報〕 数多いスペインのフラメンコギターブランドの中でも、屈指の定番とされるコンデ・エルマノス。ブランドの始まりはマドリッドの伝説的なマヌエル・ラミレス(1864~1916)工房で、サントス・エルナンデス(1874~1943)と共に職人として働いていたドミンゴ・エステソ(1882~1937)が、1919年に同じマドリッドのグラヴィーナに工房を開くところまで遡ります。彼の教えを直接受けた甥のファウスティーノ・コンデ(1913~1988)がその弟達マリアーノ(1916~1989)とフリオ(1918~1995)とともにエステソの工房スタッフに加わり、エステソ亡きあとも「Viuda y Sobrinos de Domingo Esteso」(エステソ未亡人とその甥達による)というラベルでこのブランドを継続してゆきます。1959年にエステソの妻(※Nicolasa Salamanca エステソギターの塗装を担当していた)が亡くなるとラベルを「Sobrinos de Domingo Esteso/Conde Hermanos」に変更し、この時からコンデ・エルマノスの名前がブランド名として使われ始めます。
1960年代に入るとそれまでエステソを踏襲していたモデルを全てデザインから内部構造に至るまでオリジナルのものに一新し、半月型にカットした有名な Media Luna ヘッドシェイプもこのころからハイエンドモデルの符牒として採用され、この時期世界的に高まる需要もあり飛躍的に名声とシェアを広げてゆきます。
〔楽器情報〕 コンデ・エルマノス グラビーナ工房 1990年製 「パコ・デ・ルシア」モデル Used の入荷です。横裏板にインディアンローズウッドを使用したいわゆるフラメンコ ネグラ(黒)モデル。通常のブランドラベル下の空白部分に大きく手書きの「Paco de Lucia」のプリントがされており、これは同様のモデルを製作していたフェリーペ工房のギターとは異なるデザインでグラビーナに特有のもの。この稀代の天才ギタリストとコンデとの関わりは1960年代にまでさかのぼり、横裏板に伝統的なシープレス材ではなくローズウッド材を使用したモデルをパコはその後も使用し続け、グラビーナ工房のファウスティーノが存命中の80年代までコンスタントに同モデルを購入しています。そのためファンの間ではパコモデルとい言えばグラビーナ製という評価もあるほどで、ファウスティーノのドミンゴ・エステソから続く正統性の議論と相まってブランドの歴史を飾る最も重要なトピックの一つとなっています。
〔製作家情報〕 数多いスペインのフラメンコギターブランドの中でも、屈指の定番とされるコンデ・エルマノス。ブランドの始まりはマドリッドの伝説的なマヌエル・ラミレス(1864~1916)工房で、サントス・エルナンデス(1874~1943)と共に職人として働いていたドミンゴ・エステソ(1882~1937)が、1919年に同じマドリッドのグラヴィーナに工房を開くところまで遡ります。彼の教えを直接受けた甥のファウスティーノ・コンデ(1913~1988)がその弟達マリアーノ(1916~1989)とフリオ(1918~1995)とともにエステソの工房スタッフに加わり、エステソ亡きあとも「Viuda y Sobrinos de Domingo Esteso」(エステソ未亡人とその甥達による)というラベルでこのブランドを継続してゆきます。1959年にエステソの妻(※Nicolasa Salamanca エステソギターの塗装を担当していた)が亡くなるとラベルを「Sobrinos de Domingo Esteso/Conde Hermanos」に変更し、この時からコンデ・エルマノスの名前がブランド名として使われ始めます。
1960年代に入るとそれまでエステソを踏襲していたモデルを全てデザインから内部構造に至るまでオリジナルのものに一新し、半月型にカットした有名な Media Luna ヘッドシェイプもこのころからハイエンドモデルの符牒として採用され、この時期世界的に高まる需要もあり飛躍的に名声とシェアを広げてゆきます。
〔製作家情報〕 数多いスペインのフラメンコギターブランドの中でも、屈指の定番とされるコンデ・エルマノス。ブランドの始まりはマドリッドの伝説的なマヌエル・ラミレス(1864~1916)工房で、サントス・エルナンデス(1874~1943)と共に職人として働いていたドミンゴ・エステソ(1882~1937)が、1919年に同じマドリッドのグラヴィーナに工房を開くところまで遡ります。彼の教えを直接受けた甥のファウスティーノ・コンデ(1913~1988)がその弟達マリアーノ(1916~1989)とフリオ(1918~1995)とともにエステソの工房スタッフに加わり、エステソ亡きあとも「Viuda y Sobrinos de Domingo Esteso」(エステソ未亡人とその甥達による)というラベルでこのブランドを継続してゆきます。1959年にエステソの妻(※Nicolasa Salamanca エステソギターの塗装を担当していた)が亡くなるとラベルを「Sobrinos de Domingo Esteso/Conde Hermanos」に変更し、この時からコンデ・エルマノスの名前がブランド名として使われ始めます。
1960年代に入るとそれまでエステソを踏襲していたモデルを全てデザインから内部構造に至るまでオリジナルのものに一新し、半月型にカットした有名な Media Luna ヘッドシェイプもこのころからハイエンドモデルの符牒として採用され、この時期世界的に高まる需要もあり飛躍的に名声とシェアを広げてゆきます。
[製作家情報] マヌエル・ゴンサレス・コントレラス(1928~1994)と息子であるパブロ・コントレラス(1957~2011)によるブランド(※現在はJose Antonio Lagunarがブランドを継承)。マヌエルは家具職人としてそのキャリアをスタートさせ、高い木工技術とデザインセンスの持ち主であったようです。1959~1962の間ホセ・ラミレス3世工房で(徒弟ではなく熟練工として)働いたあと、彼は自らの楽器製作のアイデアを具現化すべく早々に自身の工房を起ち上げます。木材の厳しい選定、音響と演奏性のあくなき追及から生まれた彼のモデルはほとんど発明家の様相さえ帯びるほどに個性的なものであり、その革新性ゆえにフォロワーが存在しないという意味でも稀有な有名ブランドとなっています。そのラインナップは8弦、10弦、13弦などの多弦ギターからダブルトップ(のちにマティアス・ダマンらが開発するNomexを使用したものとは全く異なる)、スピーカーの音響原理を取り入れたカルレバーロモデル、そして湾曲した力木を用いた1A Especial 等々実に多岐にわたり、どれもが注目すべきモデルとなっています。しかしながらその出発点となったホセ・ラミレス的マドリッドスクールにふさわしい、重厚で包み込むような音響は通底しており、その造りの確かさもあいまって、いまもマドリッドの代表的ブランドの一つとして高い評価を維持しています。息子のパブロは1975年より父の工房で働き、マヌエル同様に進取の気性に富んだ彼は良きパートナーとしてこのブランドの隆盛に寄与し、マヌエル亡き後もその精神を維持してすぐれたギターを出荷し続けましたが(ラベルはマヌエル・コントレラス2世 Manuel Contreras IIと表記)、2011年54歳という働き盛りでこの世を去ります。